5月8日の日経の記事で、「現代人は、引き算が苦手!」というものを目にした。
この記事を取り上げたSNSも多くあった。
それら内容に触れて、少し思うところを記事にしてみます。
「現代人は、引き算が苦手!」記事の要約
”現代人は「引き算」が苦手 労働や環境問題、解けぬ一因”
現代社会が直面する問題の解決に手こずるのは、「人間は引き算の決断が苦手で、足し算にこだわるから」とする説を米バージニア大学のチームが発表した。
ベッドの4本ある脚のうち、3本が外れた場合、3本の脚を直そうとする人が大半である。
残る1本を取り除くという解決法もある。
脚の追加よりも、脚の除去のコストの方が安い。
研究チームが気にかけるのは、コストをかけずに解決できる方法があるにもかかわらず、それが「引き算」だと見落としてしまいがちな点だという。
人間は「引く」より「追加」で物事を解決する傾向がある。
引き算の発想があっても、引く決断は葛藤を生む。
「引く」という選択肢を見落とす「思考の欠陥」が社会問題を克服できない一因だというのである。
関西大学の池内裕美教授によると、課題の対処方法には「獲得の抑制」と「モノの処分」に大別できるという。
ただし、後者の場合は、何を処分するかが明確で無い場合が多いため、処分の判断には、相当なエネルギーが必要になるため、前者よりはるかに難しいとのこと。
さらに、引き算は過去の労力が無駄になる負い目もある。
過去を見ると、携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」やスマホ「iPhone」は、引き算の発想で革新的な製品を生み出している。
前者は録音機能にこだわらず、後者はダイヤルボタンを無くした。
静岡県立大学の岩崎邦彦教授は、「勇気をもって引き算を」と企業改革を訴える。
引き算とは、何を言っているのか?
最近、ToDoリストではなく、やらないリストを作る。
とか、やらないことを決める。
といった題目のビジネス書も流行ってましたね。
HiroPaPaは、本記事を読んでみて、ここでいう引き算というのは、発想の転換のことを指していると理解しました。
物やサービスが飽和している時代であるから、ここでいう引き算の発想が起死回生の一手になることがあるということだ。
引き算ですべてがうまく行くとはとうてい思えないが、現代は、飽和状況が生み出している課題というのが多いのではないだろうか?
欲しいものは大概手に入れることが出来るし、食うに困る状況の人もそう多くはない。
物に執着せず持ち物をなるべく持たないというミニマリストがもてはやされるのもこういった背景があるからと言えるのではないか?
発想の転換というのであれば、「押してダメなら、引いてみよう」とか、
「多面的視野に立とう」などと、昔から重要視されており、今に限った話でもない。
ただ、記事にもあるとおり、引き算的な思考は、ともすればネガティブなイメージを与えてしまうという危険性を秘めている。
一旦、ネガティブなイメージを与えてしまうと、抵抗勢力を勢いづけることになり、思うように話は進まなくなる。
つまり、課題解決の方法として提唱するときに、引き算と悟られてはならないのだ。
こういった、配慮と合わせて考える必要があるため、非常に難易度が高くなる。
引き算とは、一見、引き算には見えない、機能やサービスのスリム化および課題の絞り込みだと言える。
苦手とは、どういう状態のことを言っているのか?
HiroPaPaは、サラリーマンなので、毎年、組織において事業計画が策定され、定量化された数値目標達成に向けて、個人にまで施策として落とし込んでいく。
ここには、足し算の発想しかない。
昨年度、出来ていないから、今年度はこれをやる!
こういった発想だ。
売上達成のために施策が乱立するのと同じ状態である。
リソースは有限なのにだ。
他にもある。
昨今、情報漏えいやCSRに経営者は機敏に反応するため、二重三重の対策がとられているのが実情ではないだろうか?
これは、経営者からの指示に対して、足し算を繰り返し、膨大なチェック作業となって現場に降りてくる。
結果として生産性低下を招いていることに、皆が気づいているが文句は言わない。
チェック作業が形骸化していることは、皆が理解しているというのにだ。
つまり、今の日本に当てはめると、苦手というのは、思考停止していることを指しているように、HiroPaPaは思えてならない。
本記事は、現代人との記載があるが、日本人とは限定していない。
HiroPaPaが本記事を書くとするなら、題名は
”日本人は「引き算」が出来ない! 長い景気低迷から抜け出せぬ一因”
という記事となりました。
日経の記事を見て、なんだか気持ちが悪くなったのは、HiroPaPa以外にもたくさんいるのではないでしょうか?
自分にも思い当たる節がたくさんあるからなのでしょう。
明日から、引き算的発想を、「やらない」とは言わずに「やりませんか?」と言い換えてみることにしよう。
「集中」とか「特化」とか、決断ができる提案をするのだ!
ご清聴誠にありがとうございました。